持病のパニック障害を患って3年目を迎えるこのタイミングで、今日から服薬治療を始めた。服薬治療の選択肢は今まで選べる状態にあったにも関わらず、今まで心理的なハードルが高くて選んでこなかったのだけれど、次の選択肢を選んだということで、自分としては少し前に進めたのかな、と思う。遅すぎるくらいかもしれないのだけれど…。
服薬治療を選んでこなかった背景としては、通常はパニック障害の治療法といえばまずは兎にも角にも薬物療法なのだけれど(薬を飲んでいれば必ず治るというわけではなく、心理療法や行動療法も併せて並行していく必要がある)、自分が発症した当時は休養を取れば症状が治まるほどのごく軽微な段階だったこともあり、薬を飲むか飲まないかの二択を主治医に聞かれた時、悩んだ末に薬を飲まずに治療する選択をした。先生もとにかく有無を言わせず薬を飲ませるという治療方針を取る人ではないので、自分の判断を寛容に受け入れてくださった。単純に病気への知識不足で、薬への不安や恐怖心があったのも事実なのだけれど、当時は体感として薬を飲むほど酷くない状態だったというのが大きい。少し休めば発作も治まっていて、病院にかかるまでのスパンも非常に短かったので、自分が病気を病気として認識できていなかったというのもあると思う。実際、最初は「聞いてたほど辛くないな」とすら思っていた。幸い心理療法に長けた先生だったので、発作への対処法や感情コントロールの方法を教えてもらい、今まで薬を飲まずに試行錯誤しながら病気と向き合ってきた。そのアウトプットをブログに書いたりもしていた。
体感として、自分である程度パニック発作をコントロールできている自信があるし、起こす回数自体もそれほど多くない。何の自慢でもないのだけれど、薬無しで高速道路にも乗ったし、初期は新幹線にも乗った。発作が起きてもデザインには向かえたし、季節や日によって非常にムラはあるものの、今はスーパーにも入れる。ただ、生活に支障が出ているのは変わらないし、特に毎年冬だけは非常に調子が悪くなり、一年かけて自分が必死で積み上げてきたものがいつも全部崩れてしまい、リセットされてしまう。この状態は以前から続いていて、もはや風物詩のようになっている。
パニック発作を起こしたとき、「怖い」だとか、「不安だ」だとかいうふうに感じると、余計に悪化する。なぜなら、本来不安や恐怖と感じるべきでない状態に対して、脳がそう感じるように誤作動を起こしているからだ。本来不安でないはずのシチュエーションに不安を感じて発作を起こしたとき、それに対して「怖い」と思うと症状はどんどん悪くなっていき、急にジェットコースターの頂点から真っ逆さまに落ちるような体験が始まってしまう。偽の恐怖が本物の恐怖にすり替わってしまう感じだ。そうならないために、一年かけて発作の際に覚えた対処法は「動じない」ことだった。たとえ実際に動悸が起きていても、窒息しそうな息苦しさがあっても、冷静に受け流す。そうすることで発作に対して過剰に反応しなくなり、必要以上にダメージを受けなくて済む。この対処法で今までなんとかやってきたのだ。
風物詩ではあるものの、毎年その状態に陥るのが非常に辛く、3年目を迎えるところでメンタルの調子が大きく崩れてしまったこともあり、これ以上悪くはなっても良くはならないなという気持ちと、今よりも楽になりたいという気持ちで服薬を選んだ。
今まで服薬治療を選んでこなかったのは、前述のように薬への不安が大きいのと、体感的に薬を飲むという心理状態にまで達していなかったというのが第一の理由で、「薬無しで治してやる!」というような意固地になっていたわけでは決してないのだけれど、先生からは「初志貫徹ですね」「凄いですね」と言われたりもした。心配だった薬への不安は、まずは物理的に飲むのが不安というハードルを下げてもらい、錠剤が苦手なのでOD錠と粉薬にしてもらうことでクリアすることができた。薬の処方にそこまで融通が効くことを知らなかったので、もっと早くに知っておけばよかった…。
今日、初めての薬を飲んで、まだ効いてるとも効いていないとも言えない状態だけど、幸い副作用的なものはあまり出ていない。これから様子を見て、この薬が自分に合っているのかどうかを見定めていきたい。まだ体調が安定するまで時間がかかるとは思うのだけれど、メンタルも安定してきたら様子を見ながらデザインの仕事を再開していきたい。3年目、一からまた新しくやり直すつもりで春を迎えたいと思う。今までの3年間が無駄だったというわけではなくて、病気に対して向き合うことで得られたものが大きく、自分の考え方も大きく変わった気がする。自分の体を楽にしつつ、今までの経験もこれからの人生に活かしていきたい。