何度も記事でも触れているし、普通にプロフィールにも書いているのだけれど、自分は3年前からパニック障害という持病を患っている。パニック障害の説明については割愛するのだけれど、持病を発症した当時から個人的な考えでパニック障害であることをオープンにしていて、3年目というありがたくもない節目を迎えることもあって、なぜ持病をオープンにするのか、オープンにしたことで得られたことなどを書いてみようと思った。
なぜオープンにするのか
単純に隠しているのがしんどかった
もともと何かを隠している状態を持続させるのがあまり得意ではなく、病気を発症した時もTwitterで「パニック障害になりました」というタイトルのブログ記事のシェアとともにツイートしていた。また、当時働いていたバイト先の人たちにも、休養をする理由に病名と現在の病状を添えてFacebookで報告をした。病気を理解してほしいというよりも、自分は今これこれこういう状態であるということを分かってほしい、という気持ちがあったのだと思う。
ちなみにブログで病状の経過なども書き残していて、これは当時よりも今になって非常に役立っている。普通に日記などでもいいと思うのだけれど、自分は日記は続かないので書き慣れたブログで書いていた。当時バイトを休養している状態だったのだけれど、結果的にバイト先の人たちにも自然と共有しているような状態になり、これはこれで良かったのではないかと思う(自分一人の主観的な話であって、捉え方は人によるのでなんとも言えない部分があるのだけど)。
発症当時のブログ
自分の状態を把握してほしい / 把握できる
私はこういう病気なんです、という記事を書いても、恐らく一瞬は気に留めてもらえると思うのだけれど、だいたいの人は忘れてしまうのではないか?と個人的に思っていて、当事者にとって病気は一瞬ではなくずっと持続していくものなので、良い状態ばかりではないし悪い状態ばかりでもないしムラがある、という一番理解しづらい状況を理解してもらうには、普通にそのことを継続的にオープンにしていく方が良いのではないかと思った。これは普通の人の体調でもそうだけど、良いことばかり呟いていると本当にそれしかないと受け取ってしまう人が結構少なくないのでは、と思っている。意図的にしているわけではないけど、かなりフラットというか、普通の気持ちで体調が悪い、しんどい、調子が悪い、というツイートをしている。
Twitterにそういった類のツイートをしていると、ブログでもそうなのだけれど後から見返したときに非常に便利で、定期的にローカルにツイート履歴を保存し、体調が悪くなった時期に検索してどういう状態だったかを振り返る、という風に記録ツールの一環として使っている。自分はインターネットが一番使いやすいからそうしているだけなので、ローカルのメモでも、手書きの日記でもなんでもいいと思う。
オープンにしてよかったこと
得意 / 不得意が明瞭化される
ブログやTwitter*1で言語化をしていくうちに、自分はいったい何が得意で何が不得意なのかが明確に見えてくる。元来の性格・気質的なものもあるし、以前は得意だったけれど病気によって一時的に不得意になっていることもあり、それらを言語化していくことで必然的に自己分析が出来るようになったのだと思う。自己分析が得意になったことで、自分に向いている仕事の依頼が来るようになったり、デザインや物事の言語化が得意になったりと思わぬ副次効果があった。言語化については自分は元々あまり得意ではなく、この過程を通じて得意になったという部分が大きい。わざわざ通らなくてもいいトンネルを通っている気もするけれど、最初から最後まで真っ暗だと思っていたトンネルの出口に思わぬ収穫があったというか、そんなところだろうか。「パニック障害は神経質な人は避けては通れない病気です」とどこかのサイトに書いてあって、その説明が自分にはしっくり来る気もした。
自分を理解してくれる人が増える
前述のように、もともと何かを隠していることが苦手だという事もあったし、人からの依頼を断りきれずに自分で抱え込んで自滅するタイプの人間だったので、その上に病気まで隠していては自分で自分を苦しめていくだけだと思った。なのであえて堂々とオープンにしていたところ、病状を理解してくれる人や、理解した上でお仕事を依頼してくださる方が現れて、かなり精神的に楽になった。また、同じ病気を抱えている方から「持病をオープンにして仕事をしている方がいることを知り安心した」という旨の感想を何度か頂いたこともあった。追い込んで苦しくなるよりも、ゆっくりと自分に出来ることをやっていく方が今は向いていると思うし、また病状が良くなったら走り出せばいいのだと思って、出来るだけ今は自分が楽だと思えるペースを優先している。
最初こそ、「自分はなんで頑張りたい時にこうなるのか」「いつ治るのか」「なぜ人と同じことが出来ないのか」「どうして大事な時に踏ん張りがきかないのか」と自分を追い詰めてしまっていたのだけれど、長い目で見て、前述のような言語化など病気によって得られたことも大きく、一概に病気を邪魔者扱いできないなと思うようになった。病気の種類や症状にもよるけれど、少なくとも自分の場合は苦しいことと同じくらい得られたことがあった。だからといって苦しくない病気ということではないし、特に今の時期は季節的にかなりしんどいのだけれど、病気の存在によって自分を否定的や悲観的に捉えてしまっている人がいたら、決してそれだけではないということを伝えたかった。病気によって得られたことを自分の長所として取り込んでいけばいいのだと思う。そう考えるだけで最近は随分と生きやすくなった。
あくまでも自分の主観本位の記事なのですが、少しでも自分と同じように悩んでいる方の参考になれば幸いです。
また、自分が辛い時に読んで個人的に参考になった記事も貼っておきます。
あなたは「不安神経症」(後の「パニック障害」)です。この病気は天才がなる病気ですよ。「治らないほうがいいですよ。小説を書けなくなります。病気があなたを作家にしたんですよ」って。
「広場恐怖症や不安障がいを抱えているとまず旅行には行けません。だから私は別の方法で世界を見ることにしたんです。」
味方が増えるって感覚はすごくわかる。
この病気になったことで知れたことがあったり、
今日のこの場もまさにそうだけど、
新しい出会いがあったり。
*1:繰り返すのだけれど、自分にとってはこれが最適であっただけで、人によって向いているツールは違う