前回の記事からの続きになるけれど、年末からの落ち込みの原因がどんなに考えても自分では分からない。「こう思ったから落ち込んだ」という理由は書いたけれど、「どうしてそういう思考に至ったのか」が分からない。分からないが故に「季節性の鬱だろう、冬だから調子が悪いのではないか」とか適当な推測をしてしまっていたのだけれど、もっと別のところ、自分の気質的なものに原因があるんじゃないか?と思い始めてきた。
今の自分の状態に当てはまるものはないか検索していると、HSP(Highly Sensitive Person)のセルフチェックに行き着いた。HSPという単語自体は1年くらい前に聞いたことがあって、似ているな、もしかして自分もそうかもな、程度に捉えていた。なんとなくセルフチェックをしてみると、ほぼ全部の項目に当てはまっていて、「自分はこれなのでは?」となんとなく腑に落ちた。
ハイリー・センシティブ・パーソン(英: Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは、カール・ユングの造語で言えば生得的感受性[1][2])を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。HSPはしばしば、豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもっている。物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ。
感受性が高いと人から言われた記憶はあまりないし、むしろ家族からは「図太いね」と言われるのだけど、恐らくそれは家族に自分の内面を話したことがないからだと思う。悩み事なんかを相談すると「見た目と違って繊細なんだね」と言われたことはある。ブログの文章の方が内面が出ているらしく、記事を読んだ人からそういうことを言われたりはする。
一番思い当たったのが「大きな音が苦手」「人の機嫌に影響される」といったところで、小さい頃から人が怒られるのを見ているのが怖かったし、自分が怒られることに対しても、ほんの些細なことなのにダメージが大きかった気がする。人が不機嫌になっているのを見ているのが嫌で過剰に反応してしまうこともあった。例えば家族が買い物をする時に、1万円を超えそうにならないかヒヤヒヤしながらレジの金額表示を見ていて、「また1万円も使ってしまった」「またこんな高い買い物をしてしまった」と不機嫌になられるのを見ているのが怖かったのである。音に関しては、花火の音なんかは大の苦手で、小さい頃にハウステンボスに行った時には花火の音を聞いて恐怖のあまり号泣した覚えがある。その影響なのか今でも花火の音は苦手だし、雷の音や光も嫌いである。遊園地も苦手で、22歳の時に行ったナガシマスパーランドを見るなり出た感想は「怖い」であった。都会に行くと音や光の刺激が強すぎて泣きたくなるので、無駄な騒音や物音が少ない田舎は向いていると常々感じることもある。
そうした小さい頃から不思議に思っていた部分が、点と点が繋がって行くような不思議な感覚があった。HSPだからどうこうという話ではないかもしれないけれど、自分の特性の一つとして捉えておいてもいいかもしれないと思った。