平成という時代は終わるらしい。平成30年とか、新元号とか、平成最後の夏とか言われても今まであまりピンと来なかったのだけど、今朝オウム死刑囚の死刑執行のニュースがやっていて、それでようやく「ああ、平成って終わるのか」という実感があった。なぜかは分からないけど、多分地下鉄サリン事件が平成の時代の中で大きなニュースだったからではないかと思う。
自分は平成4年生まれで、今年で26になるのだけど、物心ついた時からすでに平成だったので、取り立てて平成という時代を意識したことはあまりない。ただ祖母から戦時中の話を聞かされたり、私らの時代は〜という話をされた時に違いを感じたりするくらい。ちなみに祖母は終戦の日は川遊びをしていたらしい。こういう話を聞くと、同じ経験をしていても、場所によって思い出は違うものなのだなと思う。
平成という時代に何があったか?と聞かれると、真っ先に思うのはインターネットの著しい発展だと思う。思い返してみると、自分の今までの人生はほとんどインターネットに費やしているわけで、もはやインターネットと自分は切り離せない関係になっている。6歳の頃にインターネットの世界を見てから、人格形成にインターネットが関わってきたと言っても過言ではないというか、インターネットに育てられた感すらある。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけど、結果的にそうなってしまっている。
毎日欠かさずインターネットを使うような人生を送ってきて、もっともインターネットが変革の時を迎えたと感じたのは、恐らく2009〜11年辺り、Twitterを通じて「リアル」と「オフ」の境目が無くなってきた辺りだろうか。それまでは、もう何十回と触れられてきたことだと思うけど、基本的にはインターネットは実社会とは別離した空間であり、「リアル」の世界とは別物という認識が強かったのだけど、スマホの普及で「リアル」の人たちがそのままインターネットに流入してきて、震災を機により密接な関係に変わっていった気がする。よりオープンなものに変わったな、という感覚があった。
自分とインターネットの歴史をざっと振り返ると、大きな転機は2012年にTwitterで個人としてのアカウントを作ったことだと思う。それまでは単なる趣味として使っていたのが、デザイナーとして働く上でTwitterを活用することを意識するようになり、その結果Twitter繋がりで声をかけられたり、実際に同じ職種の人と会ったりする機会が増えた。というか、もはやTwitterを使っていなかったらどうやって仕事をしていたのかも分からないし、つくづくインターネットに生かされていると思う。こういう事を他の職種の人や、親戚の人なんかに話したら驚かれたりするのだけど、自分としては何も特別なことではなくて、今まで自分がやってきたことの延長線上という感覚が強い。やり続ければ結果的にはそうなるであろう、という道筋がある程度見えていたというか、曖昧だけどそんな感覚である。
平成とはあまり関係がなくなってしまったけど、明治生まれの人や昭和生まれの人と違い、自分はまだ一つの時代しか生きたことがなく、新しい元号が変わるという節目も初めて迎えるわけで、その一つの時代を象徴するものがインターネットだったのではないか、と感じている。小学校でパソコンをいじっている時はこんなに発展した未来は予想していなかったし、元号や時代が変われど、インターネットという存在はある意味不変な気もするし、ますます変わっていくのだろう、とも思う。インターネットじゃない何かが新しく出来るかもしれないし、その辺は分からないけど、間違いなくインターネットの発展は平成という一つの時代を象徴するものであったと思う。
まだ7月だし、まだ平成は終わらないんだけど、朝のニュースをきっかけにこんな記事を書いてみたくなった。